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2024.07.04

社員インタビュー 変化はチャンス!多分野で豊富な経歴を持つ社員が語る、ワンアンドオンリーな仕事観とは 

人物の画像-スーツ姿の男性が腕を組んでいる

マニュファクチャリング事業本部 採用課 課長のHさんは社内屈指の多彩な経歴の持ち主です。「私の歴史は異動の歴史」と自負するほど、これまで経験した部署・仕事はさまざまです。 プライベートでは家族を大切にし、職場では信頼の厚い彼が思い出を振り返りながら、キャリアや仕事について話していただきました。

金融業界で社会人スタート。23歳で経験した管理職が人生のターニングポイント

人物の画像‐仕事風景-業務連絡の電話をしている様子

学生時代は、ギターを片手にバンドのボーカルをしていました。音楽好きを活かして、九州の学校を卒業後は、いろいろな仕事を掛け持ちして生計を立て、音楽企業で働くことを目指しました。

しかし、現実は厳しく、3年後に夢を諦め、地元の金融会社に就職しました。

金融会社は、毎日多額のお金が動く厳しい世界で、金融や法務の知識を身につけ精力的に働いた結果、23歳で支店長に昇進することができました。

社会人スタートが金融業界だったこと、若いうちに管理職を体験したことは私の大きな財産です。お金の大切さを学んだことはもちろん、何より部下との接し方や管理経験は、後の私の人生に大きく関わっています。

目標を達成し、部下たちの力を引き出す方法を模索しながら、順調なキャリアを築いてきましたが、自分の中で新たな興味が湧いてきて26歳の時に転職を決意しました。

もっと人に関わる仕事がしたい──部下を持って気づいた想いを叶えるためウイルテックへ

人物の画像-プライベート写真-子供と肩を組んで歩いている

転職先は大手の人材派遣・アウトソーシング会社です。
未経験の業界で営業としてスタートしました。

金融業界を離れた理由は「もっと人と関わる仕事がしたくなった」からです。部下を持つようになり、私の言葉が仕事のモチベーションに影響することに気づきました。チーム全員がやる気を出せば成績が向上します。仲間の成長や達成を目にすることが喜びであり、それを仕事にできる業界で挑戦したいと考えました。

人材業界での経験を積んだ2年後の2006年、当時ウイルテックの連結子会社だった「ウイルテック九州」に入社。業界経験者ということで、営業課長のポジションを用意してもらえ、派遣先との信頼も築き上げてきました。

そして、軌道に乗ってきた入社1年後、異動の辞令を受けて管理部の総務課長として、営業の最前線から、今度は事務・管理部門へのチェンジし、また、その1年後には管理部長として部門を統括する役割も担いました。

管理統括を任された4年後の2013年に、ウイルテック九州は親会社であるウイルテックと統合したことでウイルテックの社員となり、製造部門の課長として大分工場を担当することになりました。

2009年に設立された大分工場はウイルテックにとって全国で初めての大規模工場でしたので、そこを任されることは大きな栄誉でした。しかし、当時はリーマンショックや円高の影響で大手の取引先が海外に工場を移転する傾向があり、大分工場でも新しい取引先を獲得することが急務とされました。

大手の受注を獲得するより、地道に中小規模の取引先を増やすことに注力しました。もちろん、すぐに利益が出るわけではなく厳しい状況は続きましたが、大分では、プロジェクトを立ち上げる難しさや収益化する難しさを学びました。

そして、1年後にはまた別の部署に異動し、大分を離れることになりました。

余談ですが、私の時代に始まったプロジェクトは後に高収益の優れたプロジェクトとして社内で表彰されました。私の時代には収益化にまでは及ばなかったプロジェクトも、後継者が発展させてくれる──そんな会社だからこそ、私は前向きに他のステージに進むことができると思っています。

次の異動先は大阪。現在のカスタマーサービス事業本部の前身である「事業開発課」の課長職でした。製造部門から修理部門への転身です。

 「モノを作る時代から直す時代へ」という理念のもと、社内的にも将来性や期待度が高い部署への異動でした。当時はテストランの段階で事業化を進める役割としての責任を一手に引き受けることとなりましたが、新しい分野での試行錯誤する日々でした。

そんな時に心の支えとなったのは福岡にいる家族の存在です。大分も大阪も単身赴任だったため、仕事の合間を縫って九州への里帰りは心からくつろげるひとときでした。
特に大阪は初めての遠方赴任で、改めて家族の大切さを痛感し1年後の九州エリアへの異動で再び訪れたときは心から嬉しかったです。

異動を楽しめる性格だから、いつもワクワクが先に来る

人物の画像-オンライン面接をしている様子

次の配属は西日本事業部・製造2課。製造部門に戻り、課長として九州北部と中国・四国エリアの派遣管理をすることになりました。

福岡で家族と過ごす時間が増え、以前の製造派遣部門での経験もあり、古巣に戻ってきた気持ちでした。配属後は取引先の海外移転による契約変更がミッションでした。事業所にいた200名以上の社員一人ひとりと面談し、適性に合った現場にアサインしました。人を大切にすることは会社の方針であり、私自身のポリシーでもあります。

その後4年にわたって九州・中国・四国エリアを統括し、そして今度は西日本事業部の事業支援課課長の職を2年間務めることに。これだけ頻繁に部署が変わるのはウイルテック内でも極めて珍しいケースです。

私の性分なんでしょうが、チャレンジが好きなんです。新しい仕事で何を体験できるのか?何を学べるのかな?と、いつも前向きにとらえています。

会社も私がそういう人間だとわかっているから、いろいろな機会を与えてくれるのではないでしょうか。だから異動をイヤだと思ったことは一度もありません。


事業支援課に配属された時も、部長の補佐役として裏方の仕事ですが、縁の下の力持ちとしてのやりがいは大きかったです。それに色々な部署を経験すると、それぞれの部署のありがたみが良くわかり、仲間への感謝の念が強くなります

自分に課しているルールがひとつあります。

それは問題が発生して何かを問われた時、『必ずその場で、即座に自分の考えを述べる』こと。曖昧な発言や、返答の先延ばしはしないよう心がけています。自分の意見が正しければスピーディな問題解決につながり、それが仲間のためになるし、仮に間違っていても、その時は素直に謝って反省して、次回の糧にすればいいだけですから。

「スペシャリスト」という言葉に惑わされるな!若者へのメッセージ

人物の画像-スーツ姿の男性が腕を組んでいる

そして2023年の4月から現在の採用課・課長に就任。

中途採用を専門に担当し、広告戦略の立案と検証、採用全般に関わる進捗の管理を統括。それぞれの仕事が滞ってないか、新しいツールを導入する必要性はないか、情報伝達はスムーズか、など組織全体を見渡す大切な役割を担っています。

私は営業、総務・経理、製造、管理、カスタマーと、本当に幅広く経験させてもらいました。そんな私だからこそ、どの視点にも立ち気持ちを汲み取れるようになったと自負しています。今まで培ってきたものを総動員して、この採用課の仕事に打ち込みます。

最後に、仕事を探している方々にお伝えしたいことがあります。

『スペシャリスト=ある分野の専門家』と思われる人がいますが、その概念を変えてみませんか。

専門分野を深く掘り下げることだけがスペシャルではありません。私のように何でも広く関わってみることも立派なスペシャルだということです。

もし『自分には自慢できる取りえがない』『なにか打ち込めるものがないといけない』と悩んでいる方がいたら、当社であなたの可能性を広げることができるかもしれません。

ウイルテックには製造以外にもたくさんの部門があり、さまざまな職種があります。どんな仕事へのチャレンジも可能ですし、入社後のキャリア変更やステップアップも後押しします。

ウイルテックで自分だけのスペシャルを見つけてみませんか。まずは面接で気楽にお話ししましょう!

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※ 記載内容は2024年4月時点のものです