日本には今も昔も多くの職人さんがいる。1人ですべて作り上げることもあれば、工程ごとに分けて作ることもある。
今回はその分業制のお話だ。
世界のシェフが認める「堺の刃物」
遥か昔、大阪の堺に巨大な古墳を作るという一大プロジェクトが立ち上がった。そこで使われる鋤や鍬を作るために全国から鍛冶職人が集結したそうだ。
今では世界遺産に登録されている立派な古墳ができた。
それ以降も堺の鍛冶職人たちは、「たばこ切り包丁」や戦国時代の「火縄銃」など、時代に合わせて高品質な鉄製品を作り続けてきた。
さて、現在まで受け継がれる堺の打刃物といえば、世界のトップシェフにも愛用される「堺の包丁」だ。
食材の繊維を壊さずスパッとキレイに切れると、たいそう喜ばれておるようだ。
工程は次の3つ。まずは「鍛造(たんぞう)」熱した鉄を叩きのばして鍛える。その次に「刃付け」研ぎの工程だ。最後に「柄付け」で仕上げる。
各職人がそれぞれの工程を極めることで生まれた逸品だ。
もう一つ、ちょっと意外な分業の例を見てみよう。
大量生産でも高品質。京の「寄木仏」
飛鳥時代から始まった仏像作りには銅製のものや1本の木で主要部分を作る「一木造」などがあった。
平安時代になり、繊細な美しい仏像を求める声が高まり、大量の注文が来るようになる。そこで編み出されていったのが「寄木造」。字の通り、頭部・胴・腕・足などを別々に作り、組み合わせる方法だ。
京の都には「定朝(じょうちょう)」という仏師が残した有名な阿弥陀如来坐像がある。また、寄木という特性を活かし、後世には巨大な金剛力士像も作られた。こちらは奈良の古都でお目にかかれるだろう。
さて、どのようにして複数の職人が1体の仏像を作ったかというと、ざっとこのような次第だ。
まず、大きな丸太で10分の1サイズのひな型を作る。これにはヒノキなどが使われたそうだ。そして、各部分の”比例寸法”から新しい木に印をつけて彫っていくのだ。これを「木取り」と呼ぶ。
崇高な像を仕上げるには表現の極意があるそうな。それは口伝にて師より伝えられる。また、古人の優れた作品に触れることでそこから多くのことを学んだという。現代にも通ずる伝承方法だろう。
※画像はイメージです